◆日本初の4ドア電車
大東亜戦争中の1942年(昭和17年)に鶴見臨港鐵道が新潟鐵工所に発注した「サハ220形・260形(本来はモハ220形とクハ260形でしたが電装品が間に合わずサハとして使用されたようです。)」各2輌が日本初の4ドア電車とされております。この電車の製造年月日は昭和18年6月と鐵道省との引継目録に記載されておりますので、まさに戦時買収と同時の使用開始となります。昭和17年5月9日の重役会決議書「電車新造の件」によれば、「旅客用の電車は所有車両31輌、新造中で本年中竣功予定の10輌有るが、現在超満員の混雑の状況にあり、今後の乗客増加を考えるとぞの後も輸送の不安を免れず更に10輌新造したい。」とされており、この議案は可決されておりますが、当時は長引く大東亜戦争で物資不足に陥り鉄は昭和13年ころから厳しく統制されていて電車の新造も困難な状況でした。
計画書の記載によれば、「当社ノ輸送状況ハ既ニ飽和點以上ニ達シ、新車竣工ニヨリ一日モ速ニ之ガ救済ヲ期シ居ルモ沿線工場従業員増加ノ趨勢ハ依然トシテ止マズ目下ノ増加率ヲ以テ推定スル時ハ十七年末ニ於イテ右十輌竣功スルモ尚充分ナル輸送量ヲ保持スルコト能ワズ十八年以降ノ従業員増加ヲ考ヘルトキ現在ノ如ク通勤時ノ交通地獄ヲ現出スル懼アルヲ以テ至急ニ増車ノ計画ヲ樹ツル必要アリ。而シテ電車ノ新造ニハ少クトモ二ヶ年ヲ要スルヲ以テ急場ノ需要ニハ適合セザル憾アルモ省ヨリ払下又ハ他社ヨリ買収等ノ見込モナキヲ以テ左ノ如ク新造セントスルモノナリ。」とあります。
(参考:重役会決議書添付「電車新造計画書」)
@ 乗客人員増加の趨勢
年(自12月〜至11月) |
1日平均乗車人員 |
対前年増加数 |
対前年増加率 |
昭和12年 |
19,950 |
4,250 |
27% |
昭和13年 |
26,400 |
6,850 |
33% |
昭和14年 |
36,700 |
10,300 |
38% |
昭和15年 |
47,600 |
10,900 |
31% |
昭和16年 |
55,400 |
7,700 |
16% |
昭和16年12月 |
52,800 |
9,800 |
23% |
昭和17年 1月 |
60,200 |
9,400 |
18% |
2月 |
52,400 |
6,400 |
14% |
3月 |
63,850 |
8,400 |
15% |
4月 |
81,360 |
8,820 |
12% |
A 最混雑時一時間の乗客数(鶴見・本山・國道3駅の乗車客数及び車輛當平均乗客数)
年月 |
時刻 |
3駅乗車人員 |
鶴見発列車数 |
車輛数 |
一車輛當り人員 |
昭和14年4月 |
6時21分〜7時22分 |
5,805 |
23 |
50 |
118 |
6月 |
6時18分〜7時18分 |
5,980 |
24 |
52 |
115 |
8月 |
6時18分〜7時18分 |
6,522 |
24 |
52 |
126 |
11月 |
6時38分〜7時38分 |
6,350 |
23 |
49 |
130 |
昭和15年4月 |
6時42分〜7時40分 |
9,201 |
23 |
49 |
188 |
6月 |
6時18分〜7時18分 |
9,125 |
24 |
51 |
181 |
8月 |
6時18分〜7時18分 |
8,542 |
24 |
51 |
168 |
11月 |
6時37分〜7時36分 |
8,043 |
23 |
57 |
141 |
昭和16年4月 |
6時31分〜7時29分 |
10,716 |
23 |
60 |
178 |
6月 |
6時23分〜7時21分 |
10,227 |
23 |
61 |
167 |
8月 |
6時23分〜7時21分 |
9,830 |
23 |
61 |
161 |
11月 |
6時39分〜7時37分 |
10,913 |
23 |
58 |
188 |
12月 |
6時39分〜7時37分 |
10,818 |
23 |
58 |
187 |
昭和17年1月 |
6時31分〜7時29分 |
10,600 |
23 |
58 |
183 |
2月 |
6時31分〜7時29分 |
10,585 |
23 |
58 |
183 |
3月 |
6時31分〜7時29分 |
10,560 |
23 |
58 |
182 |
また、当時の状況は戦時中ということで燃料不足によりバスは運転率が低下しており、同様に自転車についても資材不足で使えないものが多く、貨客の輸送は鉄道に依存する状況にあったようです。
2017年度の首都圏鉄道混雑率ランキングによれば、1番は東西線(木場-門前仲町)で混雑率が199%とされてますので、当時の鶴見臨港鐵道線の混雑率はそれに勝るとも劣らない混雑率だったことになります。