第2章 鐵道線路敷設  (敬称略)


大正14年03月05日
 第1期線(濱川崎〜辨天橋間)大正13年12月24日工事施工認可申請し、大正14年3月10日一部施工認可を得、第1期線の工事着手。一方で第1期線を省線鶴見駅に連絡する第2期延長線を計画し敷設免許も既に大正14年2月4日申請をしており11月24日に免許を受けております。
第3回営業報告書記載によれば「當社ノ如ク第一期免許線ノ営業開始前ニ於テ第二期線ノ免許ヲ得タルハ殆ント畏敬ノ事ニ属スルモノニシテ之レ偏ニ當社カソノ事業ニ忠実努力ノ誠意ヲ認メラレタルノ結果ニ外ナラス」と自画自賛しております。

大正15年3月10日
 濱川崎〜辨天橋間及び安善〜大川間が貨物専業鉄道として開業。その後も、同年4月10日安善〜石油間営業開始、昭和3年8月には浜川崎〜扇町間が相次いで完成します。

昭和4年6月13日
 重役会決議録「金融に関する件」によれば、営業開始して間もない当時の払込済株金は180万円。それまでの鐵道線建設費総額は354万円余(未開業線を含む)。よく考えれば170万円余は別途調達しないと貸借が合いません。特に借入金の表示もない。実は相当額が支払手形の名目で記載があり、適当な時期に鉄道財団を設定する約束で経営者(野・大川・岩原各氏)の個人保証で銀行から融通を受けていたようです(※現在価値で30億円ほどか)。
 先行する鐵道投資額を出資者からの株金(資本金)ですべて賄えるはずもなく、銀行からの借入には担保か保証が必要で、設立当初から資金繰りには苦労していたと思われますが、そこは経営者の資本力と信頼関係の絆が苦境を支えたものと思われます。

昭和5年4月21日
 旅客運輸免許認可の前提条件として、鉄道省の要望により、川崎大師〜鶴見総持寺間の海岸電気軌道(京濱電鉄且q会社)9.5kmを合併しました。
※海岸電気軌道鰍フ合併により鶴見線の旅客輸送が可能となり、大森線免許取得への道が開けましたが同社線の不採算と開業軌道敷設の際の創業負債を引き継ぐこととなり、この後鶴見臨港鐵道の経営に重くのしかかることになります。
【合併時の海岸電気軌道鰍フ経営数値】
資本金200万円 払込未済資本金150万円(差引純払込済資本金50万円)、軌道建設費207万円余、繰越欠損金35万円余。仮受金(京濱電鉄鰍ゥらの借入含む)193万円(※現在価値で30億円余りか)。

昭和5年10月28日
 弁天橋〜仮鶴見間が完成。これにより全線電化が完了し、鉄道線旅客運輸営業開始(仮鶴見―扇町間)。

昭和5年11月9日
 創業者初代社長 野 總一郎逝去

昭和7年6月10日
 芝浦支線を芝浦製作所から買収し、6月10日より運輸開始。