第3章 鶴見駅連絡 

 大正15年第4回営業報告書の営業概況に次の記載があります。「前途多幸ナル本鐵道ノ使命ヲ全フセントセハ第一期線ニ依ル濱川崎連絡ノ一道ニテハ同駅ノ貨車収容力関係上到底大ナル望ミヲ置ク能ハサルヲ以テ更ニ之ヲ鶴見駅ニ連絡シ東西二道ノ門戸ニ依リ其ノ貨車運用ヲ円滑ナラシムルノ外ナキヲ以テ第二期線ノ計画ニ依リ鶴見駅連絡ノ完成ヲ期シ一般社会公共ノ便益ニ資シ併テ本社ノ福利増進ニ務メントス」当初は、濱川崎駅連絡のみにては貨車の円滑な運用に不十分と考えて、鶴見駅方面にも連絡して二刀流の運用を目指しておりました。一方で鶴見駅連絡による旅客の運輸も埋立地進出企業に対する約束でしたので、恐慌の中工事を推し進めてきた鶴見駅連絡が遂に完成したことで一つの事業基盤確立の時期を迎えます。


昭和9年12月23日
 鶴見駅連絡工事は12月22日竣工、23日より連絡運輸開始。

昭和10年11月29日
 鶴見河口支線運輸開始(11.5km)

昭和11年6月15日
 重役会決議「貨物運賃改正」。当初運賃率は大正15年開業当時認可取得したものをベースとして運用してきたが、周辺の状況が変化し、と特に自動車や艀船との競争が激しくなった。また鐵道省より補助を受けることとなり、同省からも当社の運賃割戻及割引は余りに複雑だから適当に整理するべきと注意を受けたこともあり運賃改正を決定。

昭和12年4月16日
 重役会決議「川崎駅構内タクシー統制の為新会社設立」。新会社川崎合同タクシー叶ン立し、合資会社ツルヤ自動車商会のタクシー事業及び川崎乗合自動車のタクシー部を買収することを決定。

昭和12年9月22日
 臨時株主総会:資本減少の件(資本金475万円⇒380万円)総株数9.5万⇒7.6万(現在の5株を4株へ併合):軌道線営業廃止を決定

昭和12年11月30日
 海岸軌道線は、昭和12年11月30日に廃止。

昭和15年:扇島海水浴場は昭和5年以来東京日日新聞後援のもと当社が経営し、京浜間唯一の夏の保養所として評価を得てきたが、本年度は東京日日新聞社に経営を委託した。

昭和15年10月
 芝浦支線延長工事を昭和15年1月着手し10月下旬竣工。
新芝浦〜海芝浦間の営業開始により、営業路線総延長距離は12.4kmとなりました。